【ネット著作権】 人名・グループ名を作品タイトルに使ってはいけない? ~水曜日のカンパネラ「ヒカシュー」騒動と疑似著作権~ - INTERNET Watch

【ネット著作権】 人名・グループ名を作品タイトルに使ってはいけない? ~水曜日のカンパネラ「ヒカシュー」騒動と疑似著作権~ - INTERNET Watch

どうも。ヒカシュー問題で偉そうにつぶやいて( https://twitter.com/fukuikensaku/status/730183181194891266 以下)おきながら、直後の慶應大の講演で「水曜のカンパネラ」と口走って学生たちを心配顔にさせた福井です。でも、「水カン」って略して良いなら、水曜日の「日」くらい略すのは当然ありだろう。(いやない。)今回は、そんな水カン通の筆者が急きょ送る、「人名やグループ名をタイトルにしちゃいけないの?」解説。この点のトラブルや相談はとにかく多いのだ。

事の起こりはこうだ。若手人気バンドの水曜日のカンパネラは、もともと実在の人名やキャラクター名などを曲名に使うことが多かった。竹久夢二とかアリババ神帝などだ。2013年のアルバムにも「ヒカシュー」という曲名があったところ、3年経ってこのほど本家ヒカシューから抗議を受けた。ヒカシューは言わずとしれた、20世紀の終わりに恋を歌ったり、テクノポップはじめクロスボーダーに時代をリードした大物バンドだ。リーダー巻上公一さんは水カン曲について、「すこしばかり憤りを感じていました」「(彼らの曲名は)有名な人物名などを意図的に使用し、誤認誘導させる企てのものがほとんど」「その後の対応や態度によっては、使用を許諾する気持ちもありましたが、(略)話がつきました」などと書いた(http://lineblog.me/hikashu/archives/59713796.html )。

水カン側は、「ヒカシューファンの皆様に混乱とご迷惑をおかけした」などとして曲名を変更し(https://twitter.com/wed_camp/status/729661297185329155 )、「名無しの権兵衛」に変えたというもの。思い切り過ぎた新タイトルに、あるいは彼ら側の思いがにじんでいるのか、その辺はよくわからない。まあとにかくネット上では少なからぬ議論を呼んだ。いわく「今後は版権や肖像権に絡まなそうな題材で行こう」。

まてまて。人のバンド名をタイトルに使ったらダメなのか。そりゃダメだろう失礼だ、という意見はあろう。現に巻上さんは挨拶がなかったことを問題視したようだし、水カン側も同意して使用を中止したなら、第三者がとやかく言うことではない。ただ、ヒカシューのブログには「使用許諾」「誤認誘導」といった単語が踊っているのがちょっと気になった。「使用許諾」とは通常、法的権利を前提とした用語だ。「誤認誘導」なんて、後述する不正競争を意識した時に出て来そうな言葉で、弁護士などが途中で理論武装を手伝うとしばしば入って来る。であれば、失礼か失礼でないかというモラルや芸術観の問題を超えて、果たして法的にダメだったのかどうかが問われてくる。

まず著作権はどうか。これは結構知られた事実だが、キャラクターや団体の名称には、通常著作権は及ばない。なぜか。一般に短すぎるからだ。世の中にはあまりに多くの人々がいて様々な名称を使っているし、著作権はひとたび認められたら全世界的に、時には100年以上も行使できる強い独占権だ。ある程度組み合わせの有限な情報にそんな権利を認めていたら世界は使えない言葉ばかりになってしまう。5文字の単語では可能性はゼロで、著作権は認められない。(なお、ウィキペディアによれば、ヒカシュー自体が武満徹の作品「ヒカ(悲歌、Hika)」から着想された名称とされる。)

そこで通常、短い単語であれば商標登録して保護を図る。こちらは国ごと、かつ商品やサービスのジャンルごとに登録することで初めて認められる権利で、その保護の範囲も著作権よりはだいぶ狭い。だからこそ、短い単語にも認める訳だ。

ところが「ヒカシュー」というバンド名はそもそも商標登録されていなかった。しかも、仮に商標登録されていたとしても、商標権とは、人の登録商標をいわば「トレードマーク」的に使う行為を規制できる権利で、その言葉自体を独占するほどの力はない。そこで、登録商標でも曲名など「作品のタイトル」に使うのは通常は商標権侵害ではないとされている。

という訳で、商標権侵害の可能性も無い。現に、既存の人名や芸名を使った曲名など枚挙に暇がない。デヴィッド・ボウイの「アンディ・ウォーホール」とか「ソング・フォア・ボブ・ディラン」とか、サザンの「吉田拓郎の唄」とか、その拓郎の名曲「加川良の手紙」、筋肉少女帯「高木ブー伝説」、とんねるず「みのもんたの逆襲」。そのうち、「元祖」に挨拶を入れた曲がどれだけあったかは不明だが(ウォーホールはボウイの曲が好きではなかったらしい)、少なくとも例はいくらでも出て来る。

例外的に、人々が「ヒカシューの新曲が出た」と誤解して購入誘導されるような使い方をすると、不正競争防止法という法律が登場することがある。だが、それなら通常はバンド名として「ヒカシュー」を使うだろう。今回のケースでも、ヒカシューで検索すると水カンの曲がヒットするという事態はあっただろうが、ヒカシューは恐らく今さら「ヒカシュー」というタイトルの曲は作らないだろうから、彼らの曲だと勘違いして購入する人が多かったとも想像しづらい。

最後に、「パブリシティ権」という権利もあって著名なバンド名称などには確かに発生するが、これも「ピンクレディー事件」最高裁判決というものが出て対象はごく限定された。曲名に使った程度では及ばないだろう。つまり、商標権やパブリシティ権などで似たバンド名を止めることはある程度はできそうだが、曲名としての使用となると恐らく法的には自由だ。

そこで、増田聡さんなどは「これは疑似著作権(福井健策)ではないか」とつぶやいた(https://twitter.com/smasuda/status/730057490998550528 )。えーこれはどういう意味かというと、筆者が『著作権の世紀』という新書で紹介した「疑似著作権」という用語を指している。つまり、世の中には法的根拠はないか、せいぜいが極めて怪しいにもかかわらずなぜか法的権利であるかのように主張されていて、それなりに言い分が通っている場合があってそれを指す。

典型的なのはこちらのコラム(http://www.kottolaw.com/column/000042.html )でも紹介した、「著作権が切れているのに切れていないように振る舞っている作品」だ。著作権には期間がある。それが切れれば作品は「パブリックドメイン」と呼ばれ、いわば社会の共有財産になる。にもかかわらず、まるで権利が続いているように装って使用料を徴収したり、ライセンス契約を交わすよう要求して相手の行動を縛ろうとする「元」権利者は世界的に多い。いわば法の潜脱なのだが、しばしば巧妙に商標登録と組み合わせたり(前述の通り商標権の効力自体は限定的)、デザインチェンジを繰り返して「二次的著作物」で周囲を固めたり、人格権を持ち出したり、悪く言えば理論的に攪乱することで「面倒くさい・よくわからない」と思わせる。そうやって従わせ、権利のようなものを作り出すのだ。だが事柄の実相はシンプルである。パブリックドメインなら、基本的に使えるのだ。

さらには寺社や美術品でしばしば登場する「所蔵家の権利」、「料理の著作権」や「ペットの肖像権」など、日本の通説・判例でははっきり否定されているが現場では法的権利らしく扱われているケースは多い。(現在広がっているのは、「アンブッシュ・マーケティング」と呼んでオリンピックに関する言葉を広く囲い込もうとする動きだが、これは改めて別な場所で書くことにしよう。)

無論、中には言い分のわかるものもあるのだが、それでも情報は、本来は自由流通が原則である。著作権にせよ商標権にせよ、知的財産権というものは創作者の収益確保とか消費者の保護といった特別な目的のために、範囲を決めて一定の情報の独占を特別に許す制度だ。そのルールメークは、国会などで(仮にも)国民の代表が議論して行われ、独占の及ぶ範囲については、専門家が解釈を戦わせて判例や学説として積み上げられている。それを駆使して守るべきビジネスモデルを守ろうとするのは、立派な知財戦略だ。だが、ありもしない権利をあるように見せかける「疑似著作権」「疑似商標権」は、やっぱり詐欺的というほかないだろう。行き過ぎれば、それは我々自身の、社会や文化の首を絞めてしまう。

こう見てくると、今回のヒカシュー問題、どうも典型的な疑似著作権的ケースにも思えてくる。もちろん、言わずもがなだが「法的根拠がなければ抗議してはいけない」なんていうことはない。ヒカシューには、相手が無礼だと思えばどんな他人の行動にも適法に抗議する自由がある。そして、水カン側が諸々の理由でそれに応じたり応じなかったりするのも自由である。

だが、である。一体何年経てば、「それは法的な話をしているのか、それとも芸術観や仁義の話をしているのか」という当然の仕分けから入る姿勢が、報道や周囲の人々に生まれるのだろう。前者ならそれはルールだ。いよいよとなれば国家権力をもってしても強制できるのが法ルールであり、持ち出すからには根拠が問われる。後者ならそれは論評や価値観、力関係の領域だ。基本的には自由な言論や市場に委ねられる領域で、(公正でさえあれば)甲論乙駁があって良い。どちらかによって、ヒカシュー・水カン両者のスタンスも変わるはずなのだ。

最後に、本稿の執筆中に出会った、筋肉少女帯に名前を使われたドリフスターズ・高木ブーのエピソードを紹介しよう。実は「高木ブー伝説」もドリフの所属事務所に話は通しておらず、その後、猛烈な抗議を受けいったん発売中止に追い込まれている。ところが、この騒ぎを聞きつけた高木ブー本人が、「若い奴らが馬鹿やって頑張ってるんだからさ、笑って許してやろうよ」といさめ、「元祖高木ブー伝説」として発売が可能になったという。さすが、驚異の最高視聴率50.5%。筆者が子供のころ知らない者はなかった「日本史上最も地味な国民タレント」の言葉は、ちょっとばかり大きかった。

#著作権 #水曜日のカンパネラ #ヒカシュー
#20170628 #0628

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