taizooo: 自分という存在すら断片のつぎはぎなのかもしれない

from 2022/8
自分という存在すら断片のつぎはぎなのかもしれない

/jigsaw/「まず、宇宙全体をきちんとするなんてことはできないと認めること」 「そうして二番目は、それでもほんの小さな領域を、まさにそうあるべき状態にするということ。粘土の塊とか、四角いキャンバスとか、紙切れとか、そうしたものを」
そもそもインターネットに限らず自分という存在でさえ画一的というか統合的というか、1コのノードというよりはたくさんのノードがあってそいつらがスパゲティ状に絡み合ったのが自分という感覚がある
昼飯どうしよっかなーって時に焼肉の気分の自分もいれば寿司の気分の自分もいる
時間的にも断片化されている
過去の自分の書いた文章をどういう感情や意図を込めていたかなぞ簡単に忘れてしまうのでもはや他人の書いた文章である
それをこうしていろいろな Scrapbox でブラケットに包むことで自分っぽいナニカが編みあがってくるのか...?
つまるところ、自分という存在すら断片のつぎはぎなのかもしれない
でもこの編みあげることで分断を縫合できるのかというと、それはちょっとロマンチックすぎるのかなあとおもった

「編みあげることで分断を縫合できる」というのは強い物言いかなー
「ばらばらに砕け散るそれらをかろうじて繋ぎ止めることができるかもしれない(できるかもしれない)」くらいの弱さ

できるかもしれない
私たちはこの文化のなかで同じことを繰り返してきた。私たちは同じことを繰り返し尽くすことができるかもしれない」 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/12/01/000000#91
私たちは繰り返し、また練り返し、そしてまた繰り返し、繰り返し続けてきたことを、繰り返し尽くすことができるかもしれない https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/12/01/000000#92

かろうじて
新明解国語辞典より
辛うじて
カラウジテ
「辛くして」の変化
最低の条件だけをどうにか満たしたかたちで事がなされる様子

ローカル、ヴィレッジ、部族の太鼓、手を動かして考えること
今日の自分と明日の自分と明後日の自分は全然違う自分だって知ってた?

from /taizooo/自分という存在すら断片のつぎはぎなのかもしれない
#20220828 #0828

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筆者について

jigsaw(ジグソウ、1991年6月12日-)は日本のプログラマ、会社代表。本名は小林貴也(こばやし たかや)。主にウェブ、フロントエンド領域で活動している。カミング・スーン合同会社の代表社員。
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